12月8日 #2

ずっと一緒にいられなくなっても

いつまでも忘れやしない

僕ら人生のステージの上には

いつだって全員ならんでる 

「メモリーバンド/東京スカパラダイスオーケストラ

 

この歌詞を弟に教えてもらった時、泣きそうなくらいに高校時代に組んでいたバンドを思い出した。泣きそうになったのは、その時のドラムが死んでしまったから。

馬鹿だよなぁ、なんで死んじゃったんだろうなぁ

 

親の都合で海外に転校したのが14歳の時。日本人学校に通ってた時は勉強も運動もそれなりにできたから楽しく生活はしてたんだけど、15歳からインターナショナルスクールに通いだしてから言葉も通じなかったし打ち込んでた野球もやめてしまって生活にハリが無い、ざくっというと自分がすごく凡人、もしくはそれ以下になった気がしてなんだかとても鬱屈してた。そんな中、高校の学園祭で先輩バンドを見て、何となく自分の現状を変えたくて「ギターを始めたい」と思ったんです。当時は好きなアーティストとかも大塚愛とかBUMPとか流行りのど真ん中だったし、特に音楽に思い入れとか全くなかったから、ホントに何かのきっかけが欲しかったんだと今となっては思う。ピアノも幼少期に余裕で挫折してる、現状趣味がまるでないチンチクリンの野球少年が1年そこらで球に楽器に興味持つってちょっと違和感あるよなぁ、そのくらい思うことがあったんだろうな

幸い、両親が大学のバンドサークルで出会ってたっていうのもあり、全く反対されずすんなりフェンダーメキシコのストラトの入手に至り、私の楽器生活が幕を開けました。当時はさくらんぼとかコピーしてた。あと親父の趣味でドゥービーブラザーズのフレーズとか弾いてた。今となっては全く思い出せん。。。

 

そんなこんなでぬるぬるコピーをしてたところ、あたしがギターを購入したことを聞きつけた先輩が「マキシマムザホルモンのコピーをやろう」と誘ってくれて、晴れてあたしのバンドライフが始まるわけです。そん時のドラムが、今日の主人公であるYです。

Yは、元々フルートとかピアノとかができる子で、ドラムは中学校の吹奏楽とかで始めたのかな、よくよく考えたらきっかけはよく知らんけど音楽的素養はありつつドラムの技術は多分そんなだったんだと思う。あたしよっかは全然できてたんだけど。

 

バンドがきっかけで色んな大人と出会えたり、誘ってきた先輩とかのつてで、ガレージのようなスタジオを無料で借りることができ、そこでバンドの奴らと酒飲んだりタバコを吸ったり、秘密基地ができた感じでそれはそれで楽しかった。#当時は16歳から合法でした

何よりバンドが楽しかった。ホルモンって掛け声というかコーラスとかキメとか多いし、メロもキャッチ―だしやっててとにかくノれる。今でも好き。またコピーしたい。

 

楽しいのは楽しかったんだけど、あたしとY以外のメンバーが、出生からその土地だったので、親の仕事の都合で越してきたYと自分より顔が利くってのもあり、微妙に周辺状況が異なってた。あたしらは高校の中でコミュニティーが閉じていたけど、彼らはもっといろんなところに友達がいてそこらへんとつるむときは何となく居心地悪さを感じてた。大人と関わるときは楽しかったんだけど、特に同年代の他校の子と絡むときとか。なんというか知っている人たちだけの閉塞感というか、「ああ、自分は外様だ」って意識させられるような感じ。齢30近くなっても割と感じることは多いけど。彼らなりに気を使ってもらえてるのは感じたけど、それはそれであたしは疲れてしまった。

あるとき、あたしとY二人でカラオケに行ったんだけど、たまたまバンドメンバーの他の2人とカラオケで出くわした。「一緒にやろうよ」と誘われたが、Yがきっぱり「今日は2人で来たから」と断った。多分上記のようなことをYも感じてたんだと思う。この時にある種の決別を叩きつけた形になり、このバンドは完全に決裂してしまった。

 

とりあえず1部は終わり。ここからKAJIKAWAというあたしの中で最高なクソバンドが生まれるわけです。こうご期待

#ちょうど1時間くらい。筆が遅いなぁ。。。精進します。